年近い化学療法で副作用も段々と苦痛になってきていました。

一番閉口したのは、点滴が血管にうまく入らず、皮下漏潤してしまったことです。

これも生検で針を肺に入れた新米医師の仕業でした。

故に、私は肺に水が溜まったのもこの医師の医療ミスだと疑っているわけです。

いずれにしても、腕がぶよぶよに腫れ、たまらない鈍痛に悩まされました。

通院とじわじわ上がり続ける腫瘍マーカーにも疲れてきていました。

そんなとき息子が、娘家族がいる米国への1週間の気晴らしツアーをアレンジしてくれました。

治療を渡米の前後2週間を含め、約1ヵ月にわたって休む不安はありました。

しかし気分転換も兼ねて家内と一緒に行ってくることにしました。

先生の許可も無事おりて、9時間近い飛行時間も、それほど気になりませんでした。

娘がいるロサンゼルスは、冬にも関わらず気候が温暖で、日中はみなさん半袖で過ごしていました。

私は病気で体感温度が人より5度以上低くなっているようでした。

外出時はセーターとウィンドブレーカーを着込んでいました。

息子の家族も途中から合流して、皆でコリアタウンに行って美味しい雑炊を食べたのが印象的でした。

それ以外にも家内と娘・孫たちは毎日外出していました。

息子はもっぱら娘の家に残って、仕事を。

私も家に残って、息子にコツを教わりながらインターネットで癌(がん)の情報を探しました。

癌(ガン)と闘う仲間を探していろいろと情報交換をしたりすることにもチャレンジしました。

「それじゃあ気晴らしにならないでしょう」と家内にたしなめられてしまいました。

しかし、このときの情報交換が、その後私の命を救うことになるとは、私も思いませんでした。