私は66歳の'元'末期がん患者です。

ステージIII-bの肺がんから遠隔転移し、ステージIVの末期がんに進行してしまいました。

しかしその後、奇跡の逆転ホームランを打って癌(がん)に打ち勝つことができました。

癌(がん)と闘い、癌(がん)を退治し、そして癌(がん)を再発させない。

そのためには、「自分の体内の癌(がん)細胞の扱い方をマスターする」ことが必要だということがわかりました。

健康な人を含め、全ての人の体内に癌(がん)細胞は存在するといわれます。

その癌(がん)細胞が体内で活性化し、正常な細胞を侵食し、悪性の腫瘍に病変すると癌(がん)になります。

私は癌(がん)完治後の今、体内に存在している癌(がん)細胞を抑え二度と活性化させない自信があります。

この自信のおかげで、癌(がん)再発のトラウマ(悪夢)に襲われることもありません。

このブログを読んで頂いている皆さんにも、癌(がん)に打ち勝つ自信を持って頂きたいと思います。

まず何はともあれ、癌(がん)を宣告され余命を告げられても決して諦めないことです。

医師が告げる「余命」は決して「絶対的な余命」ではありません。

医師の言葉を本音に置き直すと、きっと次のようになります。

「私たち医師は日本の医師の国家資格をもって医療に従事しています。」

「従って、日本国政府が認可した医療法・医薬品しか使用できません。」

「あなたの癌(がん)も、日本国政府が認可した医療法・医薬品によってのみ治療します。」

「しかしそうした場合、過去の例から判断して、あなたは●ヵ月しか生きられません。」

「もちろん、日本国政府が認可した治療法以外にも、世界には様々な癌(がん)の治療法があります。」

「また、我々の治療が根ざす西洋医学の範囲外にも、様々な癌(がん)の治療法があります。」

「残念ながら、我々日本国の医師免許を持つ人間は、こうした治療法をお薦めすることもできません。」

「さらに、あなたの病気に打ち勝つ精神力がどのくらいかによっても、この余命は劇的に変わってくる可能性はあります。」

「しかし私の立場では、過去の事例に基づいた余命しか申し上げられません。」

「ということで、私があなたの癌(がん)を治療すると余命は●ヵ月くらいですが、その治療を始めていいですか?」

医師があなたに本音でこんな話をしたとしたら、あなたはその医師に治療を任せるでしょうか?

癌(がん)に限らず、病気と闘うことは本人にしかできません。

医師はあなた以外にも何十人、何百人という患者を同時に診ているのです。

なので医師があなたの癌(がん)との闘いに常に付き添うことはできません。

ですから、医師が提案する治療法については、「良し」と思ったらやる。

そしてやると決めた治療法については担当医師を信頼する。

しかし、医師が言うことだけやっていたのでは、駄目だということです。

医師が言うことだけやっていたのでは、医師が言った余命どおりになってしまうということなんです。

今でこそ、私はこのようにもっともらしいコメントができるようになりました。

しかし、その私自身も、「持っても2年」と私に宣告した主治医に身を任せていたのです。

そうしたら主治医の予告どおり、様々な治療の甲斐無く、約1年半後に癌(がん)は末期まで進行してしまったのです。

家族がほかの治療方法を見つけてくれなかったら、抗がん剤でボロボロになった体であっさり臨終を迎えていたでしょう。

私が癌(がん)に打ち勝つことができたのは、息子・娘・家内の家族全員が、それでは駄目だと思ってくれたからです。

私の家族は、私の癌(がん)を治す他の治療法を見つけてくれて、私にそれを試す勇気を与えてくれました。

私が癌(がん)と闘った2年4ヵ月は、自分の身体、精神、心について深く考えた2年4ヵ月でした。

また、素晴らしい人間の絆を見つけることができた、そんな貴重な期間だったと思います。

是非この体験を、癌(がん)に苦しむほかの方々と共有させて頂きたいと考えました。

そして、一人でも多くの方に癌(がん)との闘いの「勝ち組」になって頂きたいと願っています。

そんな想いをのせ、息子の協力でこのホームページをつくりました。

私以外の、癌(がん)を克服した仲間たちからの癌(がん)闘病記も掲載しました。

多くの方々が癌(がん)に打ち勝ち、新しい人生のスタートを切ことができることを、心から願ってやみません。



「癌をやっつけるブログ」ホームページ主催者より
タイトル: 諦めないで!あなたにもできる癌(がん)の克服!
66歳 男 肺癌(がん) 
ステージIII-b⇒ステージIV(末期)⇒完治
私は、2005年に大動脈解離をやりました。

その1年後の経過観察中の2006年の6月19日に、肺に影が見つかりました。

PET検査の結果「上左肺S6に腫瘤、ステージIII-bの肺がんに矛盾しない」との所見がなされました。

肺がんの告知でした。

大動脈解離以来、それまでに何度も胸の撮影はしていました。

にもかかわらず、なぜステージIII-bに至るまで癌(がん)が発見されなかったのか。

未だにこれは納得できません。

PET検査の後に生検を行ないました。

生検とは、生針検査の略で、癌(がん)治療を始める前に行なうサンプルテストだそうです。

癌(がん)でないのに、癌(がん)用の治療をしてしまう医療ミスを避けるために行なうそうです。

具体的には、私の場合背中から針を刺して肺の患部細胞のサンプルをとり、悪性かどうかを見ました。

結果は悪性腫瘍の細胞でした。

肺がんであることの最終確認がおこなわれたのです。

しかし、その生検後しばらくして強い胸の痛みに襲われました。

肺に水が溜まった結果の痛みでした。

主治医曰く、

「癌性胸膜炎による胸水で予後不良です。」

「つまり、癌(がん)細胞が肺中にばら撒かれてしまった状態で難しい状況です。」

この主治医は大動脈解離のときからの主治医でした。

何でも正直に教えてほしいと頼んでありましたので、余命は長くて2年くらいと教えてくれました。

このとき、私は実は、生検を行なった医師に医療ミスがあったと強く感じていました。

生検は主治医ではなく新米の医師が担当しました。

うまく針を刺せずに、患部になんらかの損傷を与えてしまったのではないか。

その結果、出血やリンパ液などが胸水となったのではないか。

そう思ったのです。

これについては未だに病院を疑っています。

あまりにも、タイミングがよすぎるというか、突然の病状の進行に疑わざるを得ません。

私は愛煙家でした。

それを、大動脈解離を患ってからは一生懸命タバコを止めたのです。

他にも小まめに検査をするなど、それ以上大病をしないように用心をしていました。

にもかかわらず、何よりも恐れていた肺がんにかかってしまいました。

それも胸水で肺全体に癌(がん)細胞が撒かれてしまった。

さらにリンパ節にも転移している。

本当にたいへんなことになってしまったわけです。
診断の結果は、正確には「ステージIII-bの非小細胞腺がんの原発性肺がん」でした。

その後の癌性胸膜炎の胸水による播種で手術ができない状態になりました。

また、大動脈解離のせいで放射線治療もできないとのことでした。

主治医の見解は、

「抗がん剤での化学療法しか選択肢がない」

ということでした。

私は、早期発見を見逃したうえ、平気で「良い治療法がない」という病院の無責任さに憤りを感じました。

一気に失意のどん底にたたき落とされた気分でした。

それでも何とか士気を奮い立たせ、取り乱さないようにしました。

告知に同席した息子に頼み、インターネットを検索してもらいました。

セカンドオピニオンをどこに求めればよいか、探したのです。

その結果、粒子線法や免疫療法など、化学療法以外の様々な治療法を見つけました。

直ちにこれらの治療を専門に扱うクリニックをいくつか訪問しました。

主治医には内緒でした。

どのクリニックも素晴らしく綺麗で豪華なオフィスでした。

正直、「随分儲けているのだな」という印象を受けました。

訪問した結果、どの治療法のクリニックでも、私の病状ではお薦めできない、ということでした。

癌(がん)が進行性でステージIII-bであること。

肺ぢゅうに転移している可能性があること。

PET検査でリンパへの転移が確認されていること。

そして大動脈解離を患っていたことなどで、どの治療法も危険度が高すぎるとういうことでした。

再度失意のどん底にいたところ、息子がネットで癌(がん)の闘病をする人たちの書き込みを見つけて教えてくれました。

それを通じて通院治療をする多くの癌(がん)患者の方たちと知り合いになりました。

その一部の方たちの進言もあり、まずは主治医が推す化学療法に委ねてみよう、と決めました。

いまひとつ病院を信じることはできませんでした。

しかし他にこれといった癌(がん)の治療法は見つからなかったのです。

化学療法をしなかった場合、余命がどのくらい短くなるかはわからない、とも言われていました。

癌(がん)にかかった人たちは、皆こうして「選択肢のない選択」をしていくのか、と思いました。
そして2006年の9月初旬から、入院しての抗癌剤治療が始まりました。

最初は肺に溜まった胸水をドレインしました。

実際、肺に管を入れて、溜まった水を抜きました。

その後2週間ほど、腎臓の働きが良くなる点滴などで、抗がん剤投与に向けた体の準備をしました。

続く最初の2週間で、抗がん剤を少しずつ量を増やしながら投与し始めました。

最初に使った抗癌剤は白金製剤と植物アルカロイドという種類の抗癌剤の組合せでした。

その後は通院での抗がん剤投与を続けるという治療計画でした。

何クールをやるのか、投与する抗癌剤の量をどうするのか。

私が腎臓の機能があまり強くないので、状況を観察しながら見極めていく、ということでした。

この初期の抗がん剤治療の期間中は、多少の吐き気と食欲不振に加え、しゃっくりと便秘に悩まされました。

しかし、テレビなどで見たひどい副作用はなく、思っていたより楽でした。

6月の癌(がん)告知時に腫瘍マーカー(CEA)の数値は73.9でした。

それが抗がん剤投与開始から約1ヶ月半経過後の10月中旬には、26.9まで下がりました。

レントゲンで見る腫瘍のサイズも確かに小さくなり、気分的にだいぶ楽になったのでした。

その後は、通院ベースでの抗がん剤治療を継続しました。

2007年の1月には、腫瘍マーカー(CEA)が16.4まで下がりました。

あともう一息で正常値の5.6以下まで戻せそうだ!

というところまで来ている実感をもつことができました。